カテゴリ: 写真表現

撮る、選ぶ、プリントする。これを繰り返している。楽しいから。夢中になれるから。写真について深く考えず、被写体と向き合ってきた。被写体と向き合うのに余計な思索は不要だと思う。その信念は変わらない。

だが、"写真とどう向き合うか"とか、"どう写真制作というものに取り組んでいくのか"は考えてもいいような気がしてきた。写真のどこに楽しみを見出しているのか。写真の何に惹きつけられているのか。写真は僕にとってどのような存在になったのか。考えようとすれば、キリがなく、深くて長い道のりだろう。でも、それに挑んでいく。

それでなにかが変わるかもしれないから。
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雨が続く。
雨が続くとあまり撮影に出ない。

でも、雨だから撮れる写真がある。
雨の雫、霞んだ空、そういったものが晴天の時とは異なるイメージを作り出してくれる。

僕はなかなかそういったものが撮れない。
そう言っていると撮れることは永遠にないので、試しにシャッターを切ってみる。

最初からうまくいくはずはないのだから、まずはやってみる。
次に、またやってみる。

そうしたら、雨が好きになるかもしれない。

 
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全部が全部ゴミではないと思う。ただ、多くの人からは「ゴミ」「古いもの」「ボロいもの」と認知されるものばかり。

あるいは、ツタ、雲、セミの抜け殻(僕も撮ったりするけどね…)。

本当にそれが内的な動機の発現や外界からの刺戟に対する反応なのだろうか?

誰かかから植え付けられた価値観で撮っていないか?独自の視覚世界を創るといいながら、そこに向かって走っているのかい?

いい加減そこから抜け出しなよ。日本の写真なんてほとんどつまらないんだ。もっと世界へ飛び出さないと。

森山やアラーキーに憧れて、同じようなことをやったところで二番煎じだし、彼らを超えられるとでも?

人生の予定調和を少し壊してみなよ。新しい視界が広がるからさ。平日に仕事して、週末に写真撮るなんて、何も出来やしないさ。
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表現として写真を撮るのならば、とにかくかずが大事である。このブログでも何回か書いている。森山大道の受け売りであるが、「数が質を作る」のである。

とは言いながら、機材についておろそかで良いというものでも無い。「弘法筆を選ばず」というが、それは弘法大師ほどの人になってからの話である。弘法大師は実際は筆を選んだという説もあるけれど。
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写真を勉強し始めてから5年くらいほとんどモノクロだった。フィルムはモノクロだし、デジタルで撮ってもモノクロプリント。だから、「色」を無視して撮り続けていた。

安達ロベルトさんのゼミに参加して、「色を撮る、光を撮る」というレクチャーと課題があった。そこで、それまで無視してきた色と向き合うことになった。
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