表現として写真を撮るのならば、とにかくかずが大事である。このブログでも何回か書いている。森山大道の受け売りであるが、「数が質を作る」のである。

とは言いながら、機材についておろそかで良いというものでも無い。「弘法筆を選ばず」というが、それは弘法大師ほどの人になってからの話である。弘法大師は実際は筆を選んだという説もあるけれど。
道具を選ばずとも能力があれば、それで道具の良く無いところもカバーできる。しかし、ベストパフォーマンスにはならないでしょう。道具への理解があって、アウトプットレベルもより高くなる。

フィルムで言えば、そのフィルムの特性を理解することであったり、現像処理時の違いによるネガの仕上がり具合である。カメラであれば、露出計の癖であったり、レリーズタイムラグなどだろうか。プリントでは、印画紙の特性、露光時間や現像方法、様々な要因がある。

はじめのうちからこういったことばかりに気を取られても、どうせ分からない。だから、最初は1つのものをとにかく使いこなす。少しずつ要素を変えていき、変化を知る。そのものの特性を知る。そうやって学んでいく。徐々に、道具の良し悪しというものもわかってくる。その段階に入って、その時の自分に最適な道具を選べば良い。

一番良く無いのは、出来が悪いのを道具のせいにして、道具をコロコロと変えることだ。なにも身につけることができず、フラフラとどこかにたどり着くことも無い。

結局は道具の使い熟しも結局のところ「数」なのである。